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最高裁判所第三小法廷 昭和63年(オ)591号 判決

上告人

韓震龍

右訴訟代理人弁護士

川村享三

被上告人

姫路市

右代表者市長

戸谷松司

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人川村享三の上告理由について

消防署職員の消火活動が不十分なため残り火が再燃して火災が発生した場合における公共団体の損害賠償責任について失火ノ責任ニ関スル法律の適用があることは、当裁判所の判例(最高裁昭和五二年(オ)第一三七九号同五三年七月一七日第二小法廷判決・民集三二巻五号一〇〇〇頁)とするところであり、いまこれを変更する必要はないというべきである。けだし、公権力の行使に当たる公務員のうち消防署職員の消火活動上の失火による公共団体の損害賠償責任について同法の適用を排除すべきものとする十分な理由を見いだし難いからである。そして、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、第一次出火の消火活動に出動した被上告人の職員である消防署職員らに同法にいう重大な過失があるとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官伊藤正己の意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官伊藤正己の意見は次のとおりである。

私は、本件上告を棄却すべきであるとする多数意見の結論には賛成するが、その理由として、消防署職員の消火活動が不十分なために残り火が再燃して火災が発生した場合についても失火ノ責任ニ関スル法律(以下「失火責任法」という。)の適用があるとした点に同調することができないので、以下にその理由を述べる。

多数意見の引用する判例は、「公権力の行使にあたる公務員の失火による国又は公共団体の損害賠償責任については、国家賠償法四条により失火責任法が適用され、当該公務員に重大な過失のあることを必要とする」と説示し、このことから直ちに、第一次出火の際の残り火が再燃して発生した火災による損害につき、第一次出火の消火活動に出動した消防署職員の重大な過失の有無を判断することなく、右消防署職員の属する地方公共団体の賠償責任を認めた原判決は違法である旨判示している。私は、消防署職員であってもその宿直の際に火を失し火災を発生させたような場合については失火責任法が適用されると考えるが、火災の消火活動に出動した消防署職員の消火活動が不十分なため残り火が再燃して火災が発生したような場合には、失火責任法にいう「失火」には当たらず、同法の適用はないと解するのが相当であり、右の判例は変更されるべきものと考える。失火責任法が失火者に重大な過失のある場合のほか民法七〇九条の適用を排除した理由は、(1) 失火者は自己の財産をも焼失してしまうのが普通であるから、各人がそれぞれ注意を怠らないことが通常であり、過失につき宥恕すべき場合が少なくないこと、(2) 我が国の家屋はおおむね木造であるから、市街地などで火を失したときは類焼によって莫大な損害を生じるので、すべての損害を失火者に負担させるのは余りにも酷であること、(3) 失火者に対して民事責任を問わない法慣習があったことなどである。いうまでもなく、消防署職員は消防の専門家で、既に出火があった場合に、専門家としての知識、経験、技能等を駆使して消火活動に当たることを職務上要求されているものであるから、その消火活動が不十分なため残り火が再燃して火災が発生したような場合は、文理上「失火」という概念に当たるということに無理があるのみならず、失火責任法の立法趣旨として挙げられる前記のような点を考慮して、地方公共団体の損害賠償責任を軽減すべき実質的な理由もないからである。なお、前記判例の立場に立ちつつ、消防署職員が消防の専門家であるとの事情は、重大な過失の有無の判断に当たり考慮すべきであるとの見解がある。しかし、当裁判所の判例は、失火責任法にいう「重大ナル過失」とは、通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも、わずかな注意さえすれば、たやすく違法有害の結果を予見することができた場合であるのに、漫然これを見すごすような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態を指すものと解しているところ(最高裁昭和二七年(オ)第八八四号同三二年七月九日第三小法廷判決・民集一一巻七号一二〇三頁)、消防署職員の消火活動についても失火責任法の適用があるとの立場に立ったときには、消火活動に当たった消防署職員に重大な過失があるとされる場合は皆無に等しい結果になると考えられるのであって、右の見解は、多数意見の引用する判例の立場を擁護する根拠として有力なものとは思われない。

しかしながら、本件についてみるに、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、第一次出火の消火活動に出動した消防署職員らに過失があるとはいえないので、私の見解によっても、結局、本件上告は棄却を免れないといわざるをえない。

(裁判長裁判官安岡滿彦 裁判官伊藤正己 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己)

上告代理人川村享三の上告理由

一、原判決には理由不備並に理由齟齬の違法がある。即ち、

原判決は本件火災の原因につき、原判決が引用する第一審判決理由二、2の末尾記載の如く、「再燃以外の出火原因も肯定する余地があり、本件火災の出火原因を再燃によるものと断定することはできない。」と判断しているが、原判決の判示するところは上告人主張の請求原因事実のうち本件火災の原因が再燃によるものとの点については、立証が為されていないということであり、そうだとすればその余の判断をするまでもなく請求棄却となり、原判決判示「三、消防署職員の過失」と題する判示は不用である。然し乍ら原判決は具体的な再燃以外の出火原因については何ら特定判断しておらず、先ず理由不備の違法がある。又右消防署職員の過失の存否を判断することが必要なのは、本件火災が再燃によるものとされた場合である。原判決は右三、において「本件火災についてみるに、その火災原因がいずれにあったとしても」と判示しているが、そのいずれにあったとしてもという部分は出火原因が再燃或いは再燃以外の原因によるかいずれにあったとしてもとの意味と解されるが、再燃以外の原因により出火した場合は、被上告人の過失を問えないことは当然であり、原判決が理由三、で判示している処は本件火災が再燃であることが前提となった判断と考えられる次第である。そうすると一方では再燃とは断定できないとの判断を示しながら、他方では再燃と判断していることは矛盾する請求棄却の理由が二つ存在することであり、即ち一は再燃以外の原因による出火を理由とするものであり、二は、再燃だが被上告人には重大な過失はないということを理由とするものであって、その理由には齟齬が存在し違法なものと思料される。

二、仮に一、記載の主張が理由なしとするも、第一次出火後の被上告人の監視に重大な過失がないという原判決の判示には理由不備の違法、法令違背(法解釈の誤謬)が存在する。即ち、重大な過失の存否を判断するについては、当時の被上告人の行動と、火災現場建物の状況を相関的に考える必要がある。然し乍ら原判決は第一次火災鎮火の際の状況については、本件建物の内部、特に倉庫及びカウンター部分についての状況しか認定せず、それのみを判断の対象とし、建物全体がどのような状況であったかについては全く判断していない。被上告人の監視義務ということは即ち、再燃を回避する義務のことであるが、右の義務が発生するか否かについては、当時の建物全体の状況も併せ考慮されなければ判断することはできないものである。然るに原判決は第一次火災鎮火後四五分間現場の監視をしたとして再燃回避義務の存在を否定するが、本件においては第一次火災鎮火後も湯気は発生し続けており、岡田証人の証言にあるように危険な湯気か否かは専門家が見れば判るとすれば、まさに再燃回避義務の存否を判断するについて、消防署職員が湯気が発生し続けている火災現場を放置して帰ることが許されるか否かの判断が必要であり、被上告人の重大な過失の存否の判断を為すには必要な前提事実となる。

原判決は現場の状況に応じて消防署職員のとるべき措置もその範囲が画定されると判示し、本件においてはその現場の状況については前記の如く建物内部のうちの一部の状況に基き、被上告人の残火点検、並に監視の措置について、妥当か否かを判断している。しかし、残火点検と監視は別の作業であり、並行してできる場合はよしとしても、建物全体についての監視の必要性と監視が為されたとしても監視自体が適切か否かも被上告人の重大な過失を判断するうえで必要である。しかるに右の如き判断を為さずに被上告人の重大な過失の存在を否定した原判決には理由不備の違法がある。

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